Confession of Faith
信仰告白
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。(テモテへの手紙第二3:16-17)
1.聖書の権威:
聖書は神の啓示であり、すべてのキリスト教の信仰と実践の指針であり、また神学的な疑問の仲裁の最高権威であると信じます。組織神学や聖書神学、そして伝統的な信条は、聖書の解釈によるものです。
2.三位一体的 神:
神はすべてを創造した唯一の真の神であり、三位一体(御父、御子、御霊)で、ひとつの本質、同等、同じ栄光です。
3.神の創造:
世界とその中にある有形無形のもの、すべては神の創造のみわざによるものです。
4.人間の堕落と罪:
始祖アダムとエバの堕落によりすべての人が罪に汚染され、完全に堕落しました。神の救済の恵みがなければ誰も救われることができません。
5.救済の恵み:
人は神の恵みによって選ばれ、救われます。この恵みは人の善行や努力によって得られるものではなく、ただ神の一方的なみこころによる賜物です。
6.神と人の契約:
神と人間との最初の契約は「わざの契約」であり、神に対して人の完全な服従が条件となります。第二の契約は「恵みの契約」であり、罪人が召され、イエス・キリストを信じることによって救われます。
7.信仰による義認:
神に有効に召命される者は、ただで神によって義認されます。キリストは彼の服従と死によって、このように義とされるすべての人の負債を十分に支払い、彼らのために、み父の正義に対して、当然で真実で十分な償いをされました。
8.基督の中保:
イエス・キリストが人々の罪のために十字架にかけられ、葬られ、三日目に死人の内よりよみがえり、イエスを信じるすべての人は罪が許され、義とされ、将来は復活されます。聖徒たちはこの世において、神のみ言葉によって清められ、神の補給と摂理の中で神が彼らに対するすべての神のみ旨を完成して行きます。
9.救われる信仰:
罪から救われるには、イエス・キリストへの信仰によってのみ可能であって、この信仰は神によって賜り、人の努力や自己の意志によっては得られません。
10.意志の自由:
神は人間を創るときに、神は人間の意志にあの自然的自由を賦与された。それは善にも悪にも強制されていないし、また自然の絶対的必然で決定されてもいない。人間は無罪状態においては、善であり神に喜ばれることを意志し、行なう自由と力を持っていた。しかし可変的であって、そこから堕落することもありえた。
11.教会の統治と礼拝の秩序:
教会が地上においてキリストの代表であって、教会の統治と礼拝の秩序は聖書に基づいて確立されるべきです。主日礼拝では「使徒信条」、「十戒」、および「主の祈り」を読み上げ、信者たちは聖書とキリスト教の伝統的な教理に従って生活できるよう指導します。以下の教理と信条を教会で教えます、(1)ハイデルベルク信仰問答(2)ウェストミンスター信仰告白(3)ウェストミンスター大教理問答(4)ウェストミンスター小教理問答(5)ドルト信条(6)ベルギー信条。
12.終末と審判:
「終末」とは主イエスが昇天して再臨するまでの期間、すなわち「教会の時代」を指します。聖書に記された主イエス・キリストによる最後の審判を信じます。黙示録に描かれたものに対しては、聖書全体の一貫した解釈である象徴符号の「理想主義」黙示文学解釈法を取り入れ、また「無千年王国説」には賛同します。
声明:
私たちはすべての新正統主義の「自由神学」および「パウロ新視点(New Perspective on Paul)」の神学に強く反対します。